Tracing her life.

母ゆかりのまちへ。

八月に入り、
フリーの仕事を入れている曜日の予定が
ようやく空いてきてくれました。
こないだ鹿児島の役所から電話をもらって
母の戸籍は大阪にもやはりあったと知り
せっかくやし直接もらいにいこう、と
娘っ子二人を連れて
大阪へでかけてきました。

母は大阪の小学校に通っていた、と
生前話してて
名前も覚えていました。
電車とバスを乗り継いで
区役所に着くと、
戸籍の窓口へ直行します。
ほどなく求めていたものが出てきて
驚きました。
大阪で生まれ、戦争で焼け出されて
鹿児島に戻った、と理解していたのですが
最初は鹿児島で生まれ、
父親が分家して家族で大阪に出てきていて
戦後鹿児島に帰った、というのが本当だったようです。
旧字体で細かく書かれている戸籍の内容を
係の方が丁寧に説明してくださってわかったことでした。

旧住所の表記を見つけた!

戸籍の掲載が旧住所らしく
地図には見つからないため
今のどのあたりになるかも、区役所で尋ねてから
せっかくなので、そのあたりまで行ってみました。
バスを降りて暑い中あてどもなく歩いていく管理人
ちょっと娘っ子たちにはしんどかったかな。
でも、母が話していた小学校を見つけたり
古い集合住宅の表札に
旧住所の表記を見つけたり。
みんなで乾杯。

大きなマンションが建てられていたり
長屋の名残りを感じさせる戸建住宅が並んでいたり
きっと、母の家族のように沖縄や九州から
仕事や生活を求めて移り住んできた人たちで
この埋め立てられてできた街はごったがえしていただろう
幼いころに両親に手を引かれてやってきて
戦争で焼け出され飼い犬もいなくなって
鹿児島へ帰り、
祖母の死後は母方の姓を継ぐように言われた母の半生
幼いころにとぎれとぎれに聞いていた話がつながり
感慨を覚えた次第です。

手羽先唐揚げ絶品でした。

さあ、暑い中駅前まで歩いたし
ようやくお昼、どこで食べよう。
以前訪れた
沖縄料理の店は
夕方からみたいだし
娘っ子たちのリクエストで
麺類が食べられるお店
ようやくみつけて入りました。
お疲れさん、
一緒に来てくれてありがとうね。
おばあちゃん、
喜んでくれてるよきっと。
娘っ子たちと乾杯です。
おきナニワんうどん、だそうです。

お出しが独特で
浪速のきつねうどんと
沖縄そばをミックスしたとの一品
なかなかおいしくいただきました。
聞けば、通りから
少し入ったところにある
このお店は20年以内だけど
通りに面した
露店のようなうどん屋さんは
お父様が50年以上前から
やっておられるとのこと。
母の暮らしていた街を
見つめてこられたお店でした。
うどん好きだった母が
連れてきてくれたのかもしれません。

おまけに行ってみた。キモおもろい。

お腹が落ち着いて元気が出た娘っ子たちと
もう少し足を伸ばして、
ドーム球場まで。
そこでやってた夏休みの特別展
ちょっと独特の切り口で
おっかなびっくり入ってみたら
これがキモいこと!
でも、生きものの生態の解説があり
必然、という言葉を実感しました。
そしてこれは
生き抜く知恵を凝縮した
個性なんだと感じると
キモかわいく見えてくるから不思議です。
市内地下鉄バスの一日乗車券フル活用して
このあと心斎橋を探検したりして
長い日がようやく暮れきる頃に
帰りついたのでした。

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